本当の自分を現すための修行、無我の境地

お遍路を始めて、自分の中に別の自分がいると感じるようになりました。煩悩に支配された自分を本当の自分だと思っている人は多いと思いますが、本当の自分は別にいます。

世知辛い世の中で生きていると、どうしても利己的になり煩悩にまみれるのは仕方がないことです。肉体の一部である脳は自分の肉体を守り・喜ばせようとする働きを行います。
しかしこれでは、自分は何のために生きているのか、本当のことがわかりません。

人間の感覚はあることを考えたとたん、感覚で得られる情報のうち必要なことを抽出して認知します。だから、過去やこれから先のことにとらわれて、いつも考え事をしている人は、常に五感にフィルターが掛かった状態になっています。本当ならば、もっと多くのことが見え、音や声が聞こえて、いろんなことがわかるはずです。
「今」をきちんと認識し、「今」を楽しんでいるかが、感覚を有効に正しく機能させているかの判断基準です。例えば、おいしい食事をとっているにもかかわらず、明日の不安のことに気をとらわれて味がまるでわからないでいるようでは「今」が台無しです。
また、お遍路をしているときに、仕事など日常生活のことに気を奪われることがよくありますが、そんなときは十分にお遍路を楽しめていません。頭が真っ白な無我の境地になったときに、お遍路をしていることそのものに幸せを感じ、心が穏やかになり、あらゆるものに感謝の念が湧いてきます。

あふれる情報に自分の気が奪われがちな世の中で、人それぞれに与えられた役目・使命を認識しそれを果たすためには、煩悩を生み出す頭をできるだけ使わないことが実は大切ではないかと思ったりします。それには心の奥底にある、本当の自分を現すための修行が必要です。
“無我の境地”がポイントだと思いますが、残念ながら日常生活の中でこの境地を得ることは難しそうです。これまでの経験で1週間くらいの区切り遍路をしたときに無我の境地になることがありました。短期の区切り遍路ではすぐに日常生活に戻りますから、やっぱり通し遍路が良いのかもしれません…